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東京高等裁判所 昭和40年(ネ)2292号 判決 1966年9月06日

控訴人

京浜急行電鉄株式会社

代理人

花岡隆治

外五名

被控訴人

楠ナカ

外二名

代理人

高林茂男

外一名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。被控訴人らの請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人らは控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用、認否は、以下に付加するほか、原判決事実欄摘示のとおりである。

(被控訴人らの主張の補充)

本件金沢文庫駅は京浜急行線における特急停車駅として主要駅の一つであつて、乗降客数も多く、また事故当日午後四時から同五時五九分までの間に同駅に出入する上下電車は五二本の多きを数え、その電車は幅員二・八メートル、長さ一七・八メートルという大型のものである。そして事故のあつた構内通路は従業員の専用通路と異り、一般乗降客が往来する通路であるから、前記状況の下においては一般乗降客に危険が及ぶことは明らかであり、旅客輸送業を営む控訴人としては、企業設備自体に内在する危険を防止し、乗客を安全に輸送するため、保安設備を設置する義務がある。被控訴人主張のように、乗降客はセレクトされて、危険地域に入つた人達であるからこれに対し必ずしも保安設備の設置を要求されないとか、本件通路は遮断機、警報機の設置が技術的に不可能であるとかいうことは否認する。また跨線橋、地下道の設置には費用がかかるということも危険防止義務を免れる理由にならない。

以上の点からいつて、控訴人は危険防止義務を怠つたものであり、また控訴人所有の工作物の設置に瑕疵があつたものというべきである。

(控訴人の主張の補充)

本件構内通路は一般踏切道と異り、改札口においてセレクトされた乗降客及び駅職員等電車の往来する駅構内に入るのだという認識を有する者のみが通るものであるから、踏切道改良促進法等の法令の適用がなく、保安設備の設置を鉄道側に要求されていない。また本件通路の近くに予備線があつてここに電車を駐車させておく関係から技術的に警報機ないし遮断機の設置は不可能である。そうかといつて地下道は地下水の湧出により設置不可能であり、跨線橋による方法しか残されていないが、駅のプラツトホームの幅が当時狭かつたので、跨線橋の昇り口の幅及び昇り口とプラツトホームの端までの距離について規則上要求される最低値を満たすことができなかつたため、プラツトホームの幅を拡げる必要があり、そのためには西側検車場を他に移さない限り不可能であつた。かようにして跨線橋の設置には検車場の敷地を他に求めるほかなく、そのためには多額の費用を要し、買収も容易ではなかつたのである(本件事故後昭和三八年二月にようやく買収予定が立つたので、検車場をそこに移すこととし、はじめて跨線橋の建設が可能となり、直ちにその建設に着工した次第である。)。

右のような事情であるから、控訴人に保安設備をしなかつた過失があるとか、工作物設置に瑕疵があるとかいう被控訴人らの主張は失当である。

(証拠関係)≪省略≫

理由

控訴会社の営業内容、訴外楠美雄が昭和三七年一一月三日午後五時五分ごろ控訴会社の金沢文庫駅構内通路の軌道上において控訴会社の下り電車に接触して即時轢死したこと、その事故の模様経過、右構内通路附近の施設構造殊に保安設備の模様、当時の駅職員の行動については、すべて当裁判所は原判決と同趣旨の認定をなすものであるから、原判決中右に該当する部分(原判決理由第一項全部及び第二項中冒頭から原判決一二枚目表五行目まで)を引用する。

前記認定事実に<証拠>とを併せ考えると、本件構内通路は三本(改札口から順に下り待避線<予備線>、下り線、上り線)の電車軌道と交差し、殊に駅改札口から上り線ホームに出入するには三本とも横断しなければならない(楠美雄の場合も上り線ホームに入ろうとしたものであつた。)状態であつたこと、駅構内であるため軌道の配置も複雑で馴れない客には電車の来る方向等も必ずしも明らかでないと考えられること、本件事故日時において上下電車が平均約二分一八秒の間隔で右軌道を通るほど交通量の多いところであること、その電車も大型高速のものであること(このことは弁論の全趣旨により容易に推認できる。但し駅構内のため通過電車以外は減速されていることは考慮に加える。)、本件駅は特急停車駅であること(従つて乗降客は相当多いと推認できる。)などの諸点からみて、右構内通路の位置、構造自体が乗降客にとつてきわめて危険なものであつたことは明らかである。ところがその保安設備としては、当時「一旦停止」の赤文字を書いた標識が二個所にあつたのと、下り線ホームと構内通路の交差するあたりに白ペンキで停止線が引かれていたのみであつた。

電車による乗客輸送の業務を営む控訴人としては、電車の運行に直接関係する部面はもちろんのこと、駅構内やプラツトホームにおける乗降客の通行、乗降等についても、極力人身の安全をはかり、事故を未然に防ぐ義務があることは当然であるが、そのためには物的な面で保安設備を安全にすること及び運用面で危険防止の方法を施すことの両面を要求されるわけである。

従つて本件の場合、前記認定事実に即すれば、まず抜本的には前記危険な構造通路を廃止して跨線橋または地下道を設けるのが相当であつたが、最小限に見ても軌道脇に遮断機または完全な警報機を設けるべきものであつたと認められる。控訴人は遮断機、警報機の設置が予備線の関係で技術的に不可能であつたと主張するが、技術の進歩した現在その解決ができないことは到底首肯しがたく(もしそのようなことがあるならますます跨線橋や地下道の必要性が増加する。しからざれば事故予防のための人的配置を十分にするほかはない。)、右主張に副う当審証人米本の証言は採用できない。また一般の踏切と異り法的に右のような施設が強制されていない旨、及び構内通路は危険の認識ある者のみが通行するところである旨の控訴人の主張は、前記義務に何らの消長を来たすものではない。かえつてホームへの通路は、乗降を急ぐ客で混雑するのが常態であるから危険率は一般踏切より高くこそあれ、低いことはないと考えられるのである。従つて控訴人(厳密にいえば控訴人の業務執行機関)は右保安設備をする義務を怠つた過失があり、後記駅職員の過失による民法第七一五条によるものとあいまつて、不法行為の責任を免れない(右保安設備の不備が土地工作物の瑕疵に該当して直ちに民法第七一七条の責任を生ずるかは別問題であり、この点は被控訴人の予備的主張であるから判断を要しない。)。

次に、保安設備が右のように不備であつたことを前提とし、本件事故当時の状況(原判決引用による前記認定事実)にかんがみれば、本件駅に当時出務していた助役北武、野村三喜夫の両名には、乗降客の誘導、警備の義務を怠つた過失があり、控訴人はその使用者として民法第七一五条第一項本文の不法行為責任を負うものであつて、その詳細については原判決理由第二項中原判決一二枚目表六行目から同裏九行目までを引用する。本件事故当時たまたま楠美雄以外に本件通路を通る乗降客がなかつたとしても、右認定に影響はない。なお<証拠>を総合すると、美雄は横浜駅から下り京浜急行電鉄に乗り杉田駅(同駅までの定期乗車券を所持)に降りる予定であつたが乗り越し、本件金沢文庫駅まで来てしまつたので、引き返すため降りて上り線に乗り換えるべく本件通路を通つたものであることが認められ、一旦改札口を出て再び入つたものであるかどうか、本件駅からの切符を所持していたかどうか必ずしも明瞭でないけれども、乗降客と認めるのを妨げる事実も認められないのみならず、右助役等の業務執行上の注意義務は電車運行により人身、財物一般に損傷を与えないことにあるのであつて、その対象が乗降客に限定せらるべき何らの理由もない。

以上のとおりであるから、本件事故は前記保安設備設置に関する過失及び従業員の過失の競合により発生したものであり、控訴人は楠美雄を死亡させたことによる不法行為責任として損害賠償の義務を免れないものである。

被控訴人らが楠美雄の共同相続人であること、その詳細の身分関係、美雄の死亡による同人の得べかりし利益の喪失額、被控訴人楠ナカが支出した美雄の葬祭費用額、美雄には本件通路の通行の際進入電車に注意する義務を怠つた過失が認められること、その過失相殺により前記各金額につき控訴人の賠償額をその三分の一と認めるのを相当とすること、慰藉料として被控訴人楠ナカについて金二〇万円、同楠武、同楠治美について各金一〇万円をもつて相当とすること、控訴人は以上各金額につき控訴人らに賠償金支払の義務があること、については当裁判所の判断はいずれも原判決と同旨であるから、その詳細につき原判決理由第三項及び第四項を引用する。

よつて原判決は正当と認められるから本件控訴を棄却すべきものとし、訴訟費用につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。(近藤完爾 浅賀栄 小堀勇)

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